7月は、激流の中にいました
8月に入って、2日の満月でようやく満ちて落ち着きました
この " supernatural " では、時間軸が行ったり来たりしちゃいそうですが
思いついた(思い出した)順に書いていくので、ご了承くださいね
12〜3年ほど前の話です
父が入院した時のことになります
入院したはじめの頃か
それとも、もう生き返ることは決してな、人工心臓で命がつながれている間だったのか
忘れてしまいました・・・・
と書きながら、もしかしたら28年前の母の入院の時だったのか??
どちらもが、かなりしんどい記憶なので、もう曖昧です・・・・
ほんとうに時が経てば、どんなつらい記憶も
それなりに記憶の奥に仕舞うことができる
”ひと” のありがたいところです (※もちろん、そこに残るトラウマはありますよね)
とにかく、時間を持て余したわたしは
こどもの頃に家があった町まで散歩をしたり
小学校や中学校までの通学路を歩いてみたりしていました
その途中で
特になんということもない木の前で足が止まり
見上げたら
その木が話しかけてきました
「久しぶりだね」 そんな会話です
その木の前で、自然と涙があふれました
一気にきっと蓋をした記憶が脳裏によみがえりました
あぁ、そうだった
と
苦い思い出である小学校時代に
わたしは、この木と会話をしていたんだ・・・・・
自然界のかたちあるものも、そしてないものにも
意思があります
今を生きているわたしがいて
それ以外の軸で存在する何かがあって
自然界の声もあって
すべてにチューニングを合わせたら
この世界で生きることは
とても苦しい
きっと、幼少期のわたしは、生きづらさから
聴くことをやめて、蓋をしたんでしょうね
歳を重ねることは
なんてありがたいことなんでしょう
いまのわたしは
視なくてもよいモノとのレイヤーはちゃんと分けることもできます
この世界は美しい
哀しいこと
怖いこと
すべては、ひとがつくっていること
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