精神論と栄養学

 

※ このコラムは、2021年2月14日に別のblogページで書いたものです 

 blogをまとめるための、アーカイブとなります     




5年前まで、私は5年ほどの間、菜食でした 

菜食であり続けるために、精神論的なところも拠り所になっていたように思えます 


精神論というか

あくまでも、私個人的なその当時の思想ですが

お坊さんは、粗食でもお勤めを続けられているのだから

という

いま思い返して、その無知さを恥ずかしいと思います・・・



今日は、3年前、母の23回忌の法要があったときのおはなしです


父が次男で菩提寺がなく、母が亡くなった時からお世話になっているお寺です


時は移り、和尚さんも若い方に代替わりされました 

御斎の時のくだけた会話の中で、和尚さんの修行時代のことを話してくださいました


きっと、わたしが以前は菜食だったからか

そんな話しの流れでだったのかは覚えていませんが・・・・・


要点だけをお伝えすると 

粥と沢庵だけのような食事で修行を続け、冬の厳しい寒さの中での座禅で 

耳の皮が破ける音を聞いた 

そして

若い修行僧であった彼は、たまのやすみで下山できる時には

真っ先にラーメン屋に駆け込んだ

と 面白おかしくお話ししてくださいました


笑っちゃったんですよね 

あまりに刹那で、ふつう過ぎて

そりゃそうよね!となんだかすごく腑に落ちたんです

ストン と




















苦行のその先の解脱を見つめていらっしゃる方たちは別格ですが 

ふつうに、煩悩と闘いながら暮らしているわたしたちは

栄養学の裏付けがある食生活が必要です


化学肥料に頼った結果、昔のような肥沃な土壌で作られるお野菜や

自然に育った動物からのタンパク質は摂取できません


統計的にも、昔と今では個の野菜の栄養は格段に低い数値になってしまっています

参照資料


現在も、自宅では週1〜2回しか動物性の食べ物をいただいていません 

理由は、わたしは消化力が弱いので、身体の負担を少なくするためにです 

サーフィンなど活動量の多かった日は、動物性の方が即効性があるのでいただきます



何かに固執してしまうと、考え方がタイトになってしまうような気がしています 

そして、それ以外のものを排除したり、攻撃したり、批判したり・・・・


菜食のときも、思い返すとけっこうキツい性格だったと思います 

ピシッとしてました 


何事も、グレーゾーン多めでいられるのが楽よね 

といまは思っています





今までのブログのアーカイブは、今回で完了しました

次回からは、いよいよあたらしく書きはじめます


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